若年性認知症の母と私。

59歳の母と27歳の私の遠距離介護日記

あけましておめでとうございます

2024年、あけましておめでとうございます。

「おめでとう」と言っておきながら、申し上げにくいのですが・・・。

新年早々起こってしまった能登半島地震で被災された方々にご冥福をお祈り申し上げます。

 

今年の初夢には母が出てきました。

母と二人で散歩をしていました。

風景はあまり覚えていませんが、なんだか真っ白な空間だったように思います。

他にも違う場面で父や弟や夫、じじばばなど家族が出てきていたように思いますが、全然思い出せません。

ただ、なんとなく母と一緒に歩いている場面はぼんやり覚えているので、きっと2024年も家族仲良く過ごせるのではないかなと思っています。

 

晦日、私は義実家で過ごしました。

実家には母と父と弟がいたんですが、母は「娘はもううちの子じゃないの?」と泣きながらずっと繰り返していたそうです。

 

お正月は父と母が私の義実家に迎えに来てくれました。

私と夫と父と母で余市のじじばばの家に向かいました。

父が運転する車の中で母は笑っていました。

余市のじじばばの家で1泊しましたが、母は泣くことなく過ごせていました。

母は私の夫のことを気に入ってくれていて、それで機嫌が良かったのかも知れません。

夫も母に優しく接してくれるし、変な人扱いをしないし、気を遣いすぎるわけでもないので本当にありがたいです。

今回は余市に行っても母の「帰りたい病」は発症しませんでした。

1回だけ「もう帰るの?マスクしなきゃダメ?」と言いましたが、それ以降は言いませんでした。

今年は母は調子がいいのかも知れないと思いました。

 

でも、帰ってきてからはひどかったです。

今日の夕方帰ってきたんですが、私と父で荷物の片付けをしている最中、母は家の中をうろうろ歩き回っていました。

「これ冷蔵庫にしまって」と言って渡しても、「え?ここ?冷蔵庫ってどれ?」と言いながら部屋中を歩き回ってしまいます。

母には「座って待ってて」と伝えましたが、座っていられるのは30秒だけ。

片付けが終わって父がビールを飲んでいると母が急に「ママはなんにも飲めないんだね!」と怒り出しました。

私が母に水をあげると「ママは水しか飲めないんだね!!」と怒ります。

私が「お茶もあるし、牛乳もあるけど何がいい?」と聞くと「なんにもいらない!!なんにも飲まなきゃいいんでしょ!何にも飲んだらダメなんでしょ!」と怒ります。

そんなことひとことも言ってないのに・・・。

 

お風呂の時間になって母と私は一緒にお風呂に入りました。

お風呂に入る前にも母は「飲まなきゃいいんでしょ!」泣きながら言っていました。

機嫌が悪い状態で一緒にお風呂に入ったんですが、それが悪かったのかも知れません。

髪の毛を洗ってあげて、体はボディタオルに泡をつけて母に渡しました。

母はお股とお尻は洗いません。

私が「ちゃんとお股とお尻も洗って」と言っても絶対に洗いません。

だから、私がボディタオルで母のお股とお尻を洗いました。

洗ったというか一瞬の隙を見て拭いただけです。

でも、それで母の怒りはピークに達してしまいかなり怒られました。

1回殴られかけました。(ぎりぎりで避けたのでかすった程度でした)

一応、入浴もできたけど脱衣所はべしゃべしゃ。

バスタオルを準備し忘れていたから、べしょべしょのままさっき脱いだパンツを洗濯機から出して履いていました。

「やめて!」と言って脱がせようとしますが、母は暴れてしまって大変です。

結局、父がやってくれました。

父には「もうママと一緒に風呂入るの禁止」と言われちゃいました。

悪いのはママなのに!!!

 

夕食の支度も父がしてくれました。

明日の朝のお味噌汁も父が作りました。

結局、私が札幌にいても意味ないのかも知れません。

足手まといというか、いないほうがいいのかもしれない・・・。

私の気持ちが落ち着いたときに父に聞いてみようと思います。

私が札幌に帰ってくる意味はあるのかどうか。