若年性認知症の母と私。

59歳の母と27歳の私の遠距離介護日記

初めての木下大サーカス

2023年10月9日のお話です。

 

今日は母と一緒に木下大サーカスを見に行きました。

10月15日まで札幌で公演していることは知っていて、行きたいと思っていたのですが、なかなかチケット購入まで行動せずにいました。

そしたら、たまたま友達がサーカスの招待チケットをプレゼントしてくれたので

母と一緒に見に行くことができました。

お友達、チケットを送ってくれて本当にありがとう!!!

 

サーカスは11時からだったので、10時には家を出ました。

家を出る直前に急に母が服を脱いで

「何を着ていけばいいの?」と言い出したので、着ていた服をまた着せました。

そのやり取りに少しイライラしました。

 

会場までは車で20分くらい。

10時30分には着きましたが、とっても並んでいました。

招待券は自由席だったので、自由席のほうに並びましたが、200人近く並んでいて入場できるか不安でした。

でも、無事に入場できて、トイレまですぐ行けるように1番前の席を確保することができました。

サーカスのショーは2時間程度で、途中20分の休憩があります。

結局母は休憩中もトイレには行きませんでした。

仮設トイレに入るのが嫌だったそうです。

それなら、1番前の席は足の悪い方やお年寄りの方に譲って後ろの方の席に行けばよかったかなと少し後悔。

 

私も母もサーカスを見るのは初めてでした。

目の前で繰り広げられるショーに圧巻されました。

新体操のように体を使ってショーをしている方々やライオンを扱うショー、シマウマやポニーのショー、象のショーなど本当に面白かったです。

最後の空中ブランコもとってもお見事でした!

 

今回は自由席で招待券をもらったので無料で見ることができました。

どうせなら追加料金で指定席を買ってもっと見やすい場所で母にショーを見せてあげたら良かったなと公開するほど面白くて見ごたえがありました。

 

でも、空中ブランコが終わって、出演者全員がステージに出るフィナーレの時間から母の「帰りたい病」が始まりました。

まだフィナーレがやっていて、帰っている人なんて誰もいないのに。

私は真剣にフィナーレを見ていたいのに。

母はしつこく「帰りたい」を小声で私に囁いてきます。

イライライライラ・・・。

 

フィナーレは5分ほどで終わり、会場を出ました。

会場を出てから、2か所ほど撮影スポットがあったので、母と一緒に写真を撮りました。

母の笑顔を撮れたので良かったです。

 

なるべく早めに車に戻ったつもりでしたが、駐車場から出る車で出口は大混雑しています。

お昼はびっくりドンキーに行く予定で、もう13時過ぎになっていました。

なかなか車は進みません。

母「トイレに行きたい」

私「でも、ここのトイレは仮設トイレだから嫌なんでしょ?」

母「家に帰りたい」

私「びっくりドンキーでトイレしたら?お腹空いてるから家帰る前にびっくりドンキーに行きたいんだけど。」

母「嫌だ!家に帰る!!」

私「じゃあ、お昼ご飯はどうするの?」

母「食べなくていい!!」

私「おなかすいてないの?私はお腹空いたからびっくりドンキーに行きたいよ」

母「おなかすいた!!!」

何度も何度も同じ会話をしていました。

車もなかなか進まないし、割り込んでくる車もいるし・・・。

私は生理中なのもあり、どんどんどんどんイライラしてきました。

車の中で母に「うるさい!!!」と叫んでしまいました。

だいぶひどいことを言ってしまいました。

 

母のため何度も千葉から帰ってきて、母のためにいろんな場所に連れてって、母のためにいろんなことをしてあげてるのに、どうして感謝のひとつもないの?

どうしていつも自分のことばかりなの?

どうしてそんなにうざいの?

少しは黙っててよ!!!

 

昨日はあんなに嬉しくて幸せな夜を過ごしたのに。

今日は母にたくさん暴言を吐いてしまいました。

母のせいで病気になったわけじゃないのに・・・。

母は私が思春期でわがままでも毎日ご飯とお弁当を作ってくれて、尽くしてくれていたのに。

私が母に感謝をあまり伝えたことがなかったのに、母には感謝することを求めるなんておかしいですよね。

冷静になれば、私が100%悪いことは痛いほどわかります。

でも、そのときはもう言うしかなかった。

ママ。ごめんね。

 

結局、20分くらいで駐車場を抜け出し、14時頃にびっくりドンキーに着きました。

母はびっくりドンキーでトイレを済ませていました。

 

私は、さっきの暴言を謝りたかったのですが、素直に謝ることができず、

食後のデザートでソフトクリームを注文し、母に食べてもらいました。

ランチ代は私が払いました。

 

帰宅して、少し休んでからスーパーで買い物をしました。

夜ご飯に和風パスタを母と一緒に作って食べました。

 

その日の夜20時ころ、私は千葉へ戻りました。