若年性認知症の母と私。

59歳の母と27歳の私の遠距離介護日記

父と母と脳神経外科へ

2023年9月26日のお話です。

 

今日は私が札幌から千葉に帰る日です。

20時20分に新千歳空港を出発する飛行機に乗ります。

 

今日は母の月に1度の病院です。

近所の脳神経外科病院まで父の運転でおでかけします。

この日は11時20分に診察を予約していました。

朝から母の「どこ行くの?」コールは鳴りやみません。

さらに「何を着たらいいの?」コールも鳴りやみません。

朝からずーと同じことの繰り返し。

さすがにしつこい・・・。

最終的には無視したり、話題をそらしたり、猫の世話をして気分転換をしたり。。。

 

母は病院内では静かに過ごすことができます。

トイレにも一人で行って一人で戻ってこれます。

私と父が携帯のゲームをしていても、母は黙っています。

時々、自分のリュックから本を取り出して読んでいます。

病院では普通の人のようです。

でも、診察室に入るとやっぱり病気の人だなぁと実感します。

 

診察室では担当の先生が母に近づいて優しく質問してくれます。

先生「最近は調子どう?」

母「変わらないです。でもめまいがします。」

先生「あら。めまいして動けないことがありますか?」

母「動けなくなることがあります。」

父と私「いや、普通に動いています。横になりなって声かけても絶対に横になりません。むしろ、歩き回っています」

先生「日常生活に支障が出ていないのであればよかったです。薬は飲めていますか?」

母「毎日ちゃんと飲んでいます。」

父と私「ときどき忘れることもありますが、おおむね飲んでいます。」

 

こんな感じで基本的には先生と母がお話をしていて、父と私で会話の補充をしているようなスタイルです。

 

今回、先生には大きく2つの質問をしました。

1.母はどうして服を着てくれないのか。

2.最近、母に言葉が通じない。言葉が理解できなくなったのか。

 

1については母の社会性の低下であるとのこと。

一般的には人間は社会の中で恥じないように生きていて、それは脳の働きによるものだということ。

前頭側頭葉の機能が低下してくるにつれて社会性が低下する。

そのため、服を着ていないことに対する恥じらいの気持ちが低下しているのではないかということでした。

先生は母にちゃんと服を着て生活をするように伝えてくれました。

母はわかりましたと言っていましたが、どうなるかなぁ笑

 

2については言葉が理解できなくなったわけではないとのこと。

例えば、母がヘアアクセサリーを探しているときに私が「テーブルの上にあるよ」と教えても母は洗面所に行ったりすることが多くなりました。

これは、言葉が理解できていないのではなく、聞くことができていないだけだとのことでした。

何かを探しているとき、探すという行為だけで頭がいっぱいになっているため、誰かの話を聞くという行為ができなくなってしまっているのだと先生は話していました。

なるほどな、と思いました。

じゃあ、どうしたらいいのか。

結論としては、何かを探しているときに先にそれを見つけたのなら、母に手渡してあげる。それがベストなのかもしれません。

母にはもう学習する能力はほとんどありません。

ちゃんと話を聞いてと言っても、脳のキャパシティ的に無理なのです。

母の脳のキャパシティを理解しながら、母と接することが必要なんだなと思いました。

 

また、先日母が徘徊のような行為をしたことも先生に伝えました。

先生は前頭側頭型認知症の方は不思議な行動をすることが多いと話していました。

母の場合は短時間で車に乗っただけで徘徊まではしていないし、家に帰ってこれているので、様子をみても大丈夫とのこと。

母のこの行為は徘徊ではなく、前頭側頭型認知症特有の不思議な行動のひとつだったのではないかとのこと。

すこし安心しました。

母の徘徊はこれ以降ないので、様子を見ていきたいと思います。

 

母は今飲んでいるお薬で状態が安定してきているので、このままの内服で様子をみてみることになりました。

月1回だった通院は2か月に1回で良いとのことです。

父の負担がひとつ減ったのは良かったですが、月1で先生に現状報告ができていたことで安心感をもらっていたのですが、それがなくなるのは不安です。

 

病院から帰ってきて、遅めのランチ。

今日はケンタッキーをテイクアウトして家で食べました。

母はずっとケンタッキーが食べたかったようでうれしそうでした。

 

そのあと、母と散歩がてら買い物をして、お昼寝をしてから空港に向かいました。

 

次は10月に帰省する予定です。

それまで母は変わらず生活できているかなぁ。