若年性認知症の母と私。

59歳の母と27歳の私の遠距離介護日記

伊勢神宮と京都へ2泊3日の旅行をした話②

 

伊勢から観光特急で京都へ向かいました。

観光特急はとても座り心地が良くて、車窓からの風景が綺麗でした。

列車の中にカフェ車両があって、母と二人でカレーライスを食べました。

ひとつのカレーライスを二人で食べました。

美味しかったし、楽しかったです。

 

おかげ横丁で歩き疲れていたので、せっかく観光特急に乗ったのに

乗車時間の半分近くは爆睡しちゃいました・・・。

 

京都に着いて、人の多さにびっくり!

京都駅から10分ほど歩いたところにホテルがあるのでまずはチェックイン。

チェックインしてからバスに乗って清水寺へ向かいました。

その時点でライトアップの時間帯になっていて、たくさんの人がいました。

清水寺まで急な坂道を登りながら、時々お茶の試飲をいただいたり、

お土産を物色したりしてゆっくり登っていきました。

清水寺に着いて、写真を撮りながらライトアップを楽しみました。

とにかく人であふれていたので、迷子にならないように

母と手を繋いで、父のリュックを手放さないように歩きました。

初めて清水寺のライトアップを見ましたが、本当にきれいですね。

紅葉とのコラボレーションがとっても幻想的でした。

父と私はテンションが上がってたくさん写真を撮りましたが、

母はそうでもなかったようです笑

母は写真に写るのが好きじゃなく、清水寺では母を撮ることはできませんでした。

 

清水寺から鴨川までお店を見ながら20分くらい歩きました。

鴨川沿いのお店ですき焼きを食べました。

京都のすき焼きは自宅で作るすき焼きよりもずっと美味しかったです。

父も母もすき焼きの美味しさに感激していました。

母は「美味しい美味しい。」と連呼していました。

すき焼きはお店の方が目の前で焼いてくれるのですが、

私たちのテーブルはおばあちゃん店員さんが担当してくれました。

母はそのおばあちゃん店員さんにたくさん話しかけ、楽しそうに笑っていました。

後から他の店員さんから、おばあちゃん店員さんが1番上手にすき焼きを作ることで有名であることを知りました。

母と一緒にラッキーだったねと笑いあいました。

 

すでに22時近くになっていたので、ホテルまでタクシーで帰りました。

京都のホテルは大浴場がなかったので家族で交代でシャワーを浴びました。

父と母は久しぶりのユニットバスだったようで、やや戸惑っていました。

母もひとりでユニットバスでシャワーを浴びることができていました。

 

事件があったのは、部屋の電気を消したあとです。

 

朝早く起きて歩きっぱなしだったので、3人ともだいぶ疲れていました。

でも、慣れないベッドや枕でなかなか寝付けませんでした。

突然、母がベッドから起きてなにかぶつぶつ言っています。

「薬がない。便秘薬、どこだっけ?あれ、ないな。どこだろう。」

母はこんなふうにつぶやきながら部屋を動き回っていました。

私は母の動きを見守っていました。

私も疲れていてベッドから出たくなかったのです。

すると、母が突然部屋を出ていきました。

私はびっくりして母のあとを追いかけました。

でも、ホテルの部屋の鍵がないのです。

部屋はオートロックなので、鍵を持たないで出てしまうと入れなくなります。

鍵はさっきまでテーブルの上にあったのに。

 

私は部屋のドアを開けながら母を呼びました。

でも、母は廊下を歩いてエレベーターホールまで行ってしまいました。

私が父を起こそうか考えていたところ、母が戻ってきました。

どうやらエレベーターに乗れなかったようでした。

母の手には部屋の鍵が握りしめられていました。

 

戻ってきた母に私は強めの口調で怒ってしまいました。

ひとりで部屋を出たことを怒りました。

母はとても混乱していました。

一時的にここが京都であること、ホテルであることを忘れてしまっていたようです。

母にここが京都のホテルであること、便秘のお薬は家にあることを説明しました。

3度ほど説明したところで母は理解してくれたようで

「ごめんね。ごめんね。勘違いしちゃったみたい。」 

こうやって謝られることが1番辛くて泣きそうになりました。

だって、別に母が悪いことをしているわけじゃないし、

やりたくてやっていることじゃなくて、やってしまっていることだから。

 

私は母をなだめながら、母が眠れるまで少しだけ傍にいました。

母も相当疲れていたんだと思います。

旅程は私が立てたので、無理をさせてしまったことを少し後悔しました。

最後の旅行かもしれないから、行きたいところ全部行かせてあげたかったんです。

旅程としてはかなりハードでした。

私は自分のベッドにもぐりこんで「ごめんね」とつぶやきました。

 

ちなみに、この事件が起きている間、父は夢と現実をさまよっていたようで

母と私が何かをしていることは理解していたようです笑