若年性認知症の母と私。

60歳の母と27歳の私の遠距離介護日記

遠距離介護

 

今までは母が前頭側頭型認知症と診断された頃の話を中心にしてきました。

 

ここからは、遠距離介護について話していきます。

 

2022年12月に母は前頭側頭型認知症と診断されました。

そのころ母は自分の病気を受け止めておらず、

自分のことは自分でできると思っていました。

家族は母ができなくなっていることが増えていることを実感していました。

 

私は私が母の傍にいることで

母が自分に頼ってしまって、何もできなくなってしまうのではないか。

そんな風に思っていました。

 

母はまだまだできることがたくさんありました。

洗濯や掃除、食器洗い、トイレ掃除。

ちょっとした料理やおにぎり。

猫の世話やゴミ捨て。

 

私がいると、母の代わりに家事をやってしまう。

私がいなくても母は自分のできることをやってほしい。

そうすることで少しでも病気の進行が遅れたらいいな。

 

そう思うようになりました。

 

でも、母のそばを離れなきゃいけないと感じた理由の1番大きな部分は

母との喧嘩でした。

 

医師からは

認知症の人を怒ることで進行しやすくなる

と言われていました。

 

だけど、怒ってしまうんです。

あまりにも不可解な行動が多すぎて。

あまりにも私の意見を聞き入れてくれなくて。

悲しくて悔しくて何度も泣きました。

怒ってしまう自分にも腹が立ちます。

母の病気を受け入れられない自分が悔しくて辛くて。

 

最初のころは言い合いの喧嘩が多かったんです。

でも、だんだん母が謝ることが増えてきました。

母から「ごめんね。」と言われることが、本当に辛くて苦しかったです。

だって、母はやりたくてやってるわけじゃないんです。

病気が進行してしまったから。

母が悪いわけじゃないんです。

もちろん、怒る私が悪いわけでもないんです。

 

 

そこで、2023年2月から私は千葉に引っ越しをしました。

今は千葉で彼氏と同棲しています。

このことは家族も合意しています。

 

私は千葉で看護師を続けています。

でも、正社員ではなく派遣社員やパートでの仕事。

今は2か月に1回くらいのペースで2週間くらい札幌に帰っています。

働いているクリニックの方々には本当に良くしてもらっています。

事情を説明して、2週間のお休みが取れるように調整してもらっています。

一緒に暮らしている彼に金銭的にも支えてもらいながら生活しています。

 

札幌に帰ったときは母のサポートをしつつ、父のケアをしようと思っています。

 

これが本当に母のためになっているのかどうか、正直分かりません。

 

でも、離れていても私にできることはなんでもします。

できるだけ毎日、母とテレビ電話をして家の状況や母の顔を見ています。

 

母は私がいないことでさみしい思いをしているようです。

でも、子離れも必要ですよね。

 

私が千葉に来てからは母と喧嘩することはなくなりました。

 

ちなみに2023年4月から弟が新社会人になって一人暮らしを始めたので

そのころから父と母+4にゃんずで暮らしています。

 

にゃんず達もしっかり母を精神的に支えてくれているので助かっています。

 

これから家族それぞれの生活がどう変化していくのか。

自分の気持ちを表して整理するためにもブログを書き続けていきます。