若年性認知症の母と私。

60歳の母と27歳の私の遠距離介護日記

母が前頭側頭型認知症と診断されるまで②

 

そんなとき、ある事件が起きました。

 

母が迷子になりました。

 

自宅から車で30分くらいの場所に父方の祖父母の家があるのですが、

そこへたどり着くことができなくなってしまったのです。

祖父母の家は何十年も変わらず同じ場所にあります。

何十年も同じルートで何度も何度も通った道です。

母がいつものように車を運転して祖父母の家に行こうとしましたが、

結局行けませんでした。

でも、自宅に帰ってくることはできました。

 

「ガソリンが切れそうになるまで何時間もずっと祖父母の家を探していたんだけど

結局見つけられなくて。仕方ないから帰ってきた。」

 

当時、母は疲れ切った表情でこう話していました。

 

それ以降、母に運転をやめるよう何度も何度も注意しました。

しかし、母は聞く耳を持ちません。

これも前頭側頭型認知症の特徴のひとつだったんですね。

 

その後、冬にスリップして停車していた車に衝突する事故がありました。

幸い、大きなけがや損傷はありませんでした。

警察の方々にも運転を控えるように伝えられました。

しかし、母は運転をやめませんでした。

 

母が運転をやめたくない理由は

『車がないと生活できないから。どこにも行けないから。』

 

近くにJRの駅もあるし、バス停もあるし、スーパーやコンビニ、薬局、クリニック、お弁当屋さん、携帯ショップなどなど徒歩15分で行ける場所はたくさんあります。

自転車も持っています。

それでも、車がないと生活ができないという思い込みが母の頭を支配していました。

 

そんなある日、さらなる事件が起こりました。

 

母が行方不明になったのです。

 

その日も家族が止めたにもかかわらず、車で祖父母の家へ向かいました。

昼前に出て行ったのに夕方になっても帰ってきません。

心配で電話をかけても出てくれません。

何度も何度も電話をしました。

次のコールで電話に出なかったら警察に捜索願を出そうと決めたとき

母がやっと電話に出ました。

 

「祖父母の家がどこだかわからない。今自分がどこにいるのかわからない。」

 

母の声は震えていました。

私は母が事故を起こさずにずっと運転し続けることができたことに安堵しました。

電話口で母の近くにコンビニがあることがわかり、コンビニで待っているよう伝えました。

母がちゃんと待っていられるか不安でした。

 

私は父と一緒に車で母を迎えに行きました。

母は祖父母の家の近くのコンビニにいました。

母が運転していた車を私が運転し、母を助手席に乗せました。

母は半分以上あったガソリンがギリギリになるまで運転をしていたようです。

迷子になって不安で、手がずっと震えていたそうです。

母の腕にあざがあったことを覚えています。

きっと焦って自分で自分の腕を叩き続けていたのかなと思います。

母を助手席に乗せたまま、辛くて悲しくて涙が止まりませんでした。

 

それ以降、母が車を運転することはなくなりました。

家族の説得に応えてくれたというよりは

自分で自分の変化に気づき始めて、ショックを受けていたんだと思います。

 

これが2022年の年末のお話です。

医師から前頭側頭型認知症と診断されて数日後の出来事でした。